憾満ヶ淵は、男体山から噴出した溶岩により形作られた奇勝です。
 巨岩・奇岩の眺めは圧巻で、近くにはストーンパークもあります。
 更に、約70体のお地蔵様が並ぶ、名もそのままの並び地蔵があります。
 もともとは百体のお地蔵様が祀られていたので「百地蔵」といわれており、
 大洪水により流されたものを探し出して祀り直したそうです。その為に欠けたお地蔵様もある。
 「化地蔵」とも言われるのは、数を数えると行きと帰りで違う事があるからだそうです。

  お地蔵様が並ぶ姿は圧巻で、外国人がインスタ映えを狙って訪れるそうです。

  また憾満とは呪文の一文で、川が流れる音が不動明王の呪文のように聞こえたことから、
 憾満ヶ淵と名付けられたと言われております。

  憾満ヶ淵や泣虫山登山口は、ヴェロンさんの宿泊ホテルから800mほどのところにあります。
 テレビなどで川を捜索する映像を見た方も多いと思います。
 目撃情報があったのは、この憾満ヶ淵の奥に登山道がある泣虫山です。
 2018年7月28日、29日は、台風12号が西日本を縦断しました。

  憾満ヶ淵を流れる大谷川も水量が増えていたそうです。
 下流の神橋で水位が観測されており、例年7月の平均水位が0.43mでした。
 7月28日-29日はともに0.9mあったそうです。いつもの倍の水位になっておりました。

 詳しくは、気象データからヴェロンさんの旅を考察してみたをご覧ください。

  捜索は、憾満ヶ淵散策路を歩いてみました。
 憾満ヶ淵はどのような場所で、他にはどのような名所があるのでしょう。


捜索場所地図

宿泊ホテル発着で、憾満ヶ淵や神社を巡る一般的なコースを歩いてみました。

憾満ヶ淵周辺の拡大地図。写真撮影場所を数字で記載している。

憾満ヶ淵周辺拡大地図(Hotel から憾満ヶ淵) ①~⑤まで下で詳しく解説します。
結論:この範囲で事故に遭う可能性は、極めて低いと思われる。

住宅街の生活道路には、憾満ヶ淵の案内標識があり、泣虫山が見える。

 ①ホテル前の道路は、憾満ヶ淵へ続いております。左側に見える山が、泣虫山と思われます。

含満公園入口にある憾満の茶屋とお地蔵様。右手には無料駐車場があります。

  ②含満公園入口 写真右側に無料駐車場があり、7台は駐車できそうです。
 建物は、そば団子や手打ち蕎麦が名物の含満の茶屋です。
 Ⓐは、泣虫山登山口の看板で、この道を1kmほど進むと登山口になります。
 登山客の利用も多いそうです。

 Ⓑは、熊の注意看板になります。日光の山道を歩きましたが、見かけたのはここだけでした。
 Ⓒ憾満ヶ淵の看板 外国人観光客向けに、日本語の下に英語で併記されていました。

含満公園にある熊注意の看板。出会わないための対策やであった場合の対処法などが書かれてある。
含満公園にある西町太子堂の写真。

  ③西町太子堂(聖徳太子が祀られている) 写真の道の奥が憾満ヶ淵になります。
 写真の右側は公園です。とても明るい開けた場所で、危険そうな感じは全くありません。
 この周辺で遭難するような事は、ほとんどないと思われます。

慈雲寺の山門。この先に憾満ヶ淵や並び地蔵がある。
慈雲寺本堂と境内の様子。
慈雲寺の横を流れる大谷川と崖の様子。

 ④慈雲寺 山門を抜けると、小さなお堂がありました。横には大谷川(だいや)が流れます。
 通路には柵が設けてあり、小さな崖もありますが落ちても致命傷になる事は少なそうです。
 この先に進むと、74体のお地蔵様が並ぶ「並び地蔵」が見えてきます。

男体山の溶岩が作りだした名所 憾満ヶ淵 巨岩・奇石と清流大谷川の組み合わせが美しい。
憾満ヶ淵にある危険の注意看板。
並び地蔵 もともとは百体のお地蔵様が並んでいたが、台風により流されてしまった。下流に流されたお地蔵様が掘り出され、74体が並べてあります。
憾満ヶ淵と並び地蔵 この日の憾満ヶ淵は、清らかな水が流れており、水量も少なめでした。
 並び地蔵は、74体が一列に並んでいるわけではなく、数カ所に分かれて鎮座していました。
 通路の長さは240m位で、幅は4m位でしょうか。全く危険な感じはしませんでした。
 通路と川の崖の高低差は、高い場所で10m位、少ない場所で1m位でした。
 石の上には「危険」の看板があるものの、事故に遭いそうな感じはしませんでした。

アクアスコープで大谷川の川の中を見る実験をしました。
アクアスコープで見た大谷川の川の中の写真。普通に見ると、水面の乱反射や泡などで、水底まで見る事は出来ない。アクアスコープを使用すると、底まではっきりと見る事ができた。

  警察の捜索でも使用されていたアクアスコープ(上写真1)で川の中をのぞいてみました。
 一体どのように見えるのでしょうか?
 ニュース映像でも使われていたので、記憶されている方もいらっしゃると思います。
 上の写真のような水面の乱反射や泡などで見にくい水の中も、アクアスコープで見ると
 石に付いたコケまではっきりと見えました。(上写真2)
 たとえ水中に沈んでいたとしても、見落とす事はあり得ないと思いました。

憾満の路 西側の拡大地図。 写真撮影場所を数字で記載してあります。

  憾満の路の地図 左側拡大図になります。⑥が憾満ヶ淵の終点になります。
 道路の合流点にトンネルがあり、そこを通って泣虫山方面に向かいます。
 今回の調査では、泣虫山方面に向かいませんでした。

  一つ一つ詳しく見ていきたいと思います。
 このエリアでの遭難の可能性は、とても低いと思われます。

 
憾満の路コース図 日光市ウォーキングトレイル休憩所 歩多留庵に掲示されていました。
日光市ウォーキングトレイル道案内看板 距離や方向など、日本語と英語で併記されております。

  憾満の路のルート図とルート上にある案内標識になります。
 ルート図は、歩多留庵の休憩室に掲示されていました。

 
並び地蔵は、数カ所に分かれて並べられています。約200m続いた憾満ヶ淵の終点近くの写真になります。
憾満ヶ淵も終わり、この道を登って道路に合流する事になります。奥には隧道もあり、そこを通ると泣虫山登山口に出ます。

  ⑥最後のお地蔵様を横目に、更に奥に進むと左側に階段が見えてきます。
 水門脇のルートを登り、道路と合流します。そこにあるトンネルを抜けると泣虫山登山口に
 行く事ができます。道は整備されており、危ない感じはしませんでした。

  また、ここにもヴェロンさんの貼り紙が張ってありました。

恐らく猟銃を持った人に向けた注意貼り紙だと思いますが、見た時にドキッとしました。
近くに人家があり危険・・・ こんな場所を猟場にしないでほしい。

  ⑦発砲注意の貼り紙が2ヶ所に貼られていました。
 もしかすると、この辺は猟場なのかもしれません。
 間違って侵入してしまい、実は射殺されていたという誤射殺隠蔽事件でなければいいのですが

糖塚稲荷社 この辺りは、稲荷神社が他にもあります。

  ⑧糖塚稲荷社 小高い丘の上にあり、頂上から付近を単眼鏡で捜索してみました。

大日橋と男体山 すっかり雪化粧をした男体山とモダンな感じの大日橋がマッチしています。
大日橋から撮影した憾満ヶ淵方面。
日光市ウォーキングトレイル道案内標識と大日橋手前の分岐点。要所要所の分岐に案内があるので、迷う事は少ないと思います。

  ⑨大日橋 とても趣のある橋でした。(上三連写真の上)
 真ん中の写真は、橋の上から憾満ヶ淵方面を写したもの。
 分岐となる場所には、道案内がありました。迷うような事はないと思います。

  (上三連写真の下) 車止めの間の道を進むと、大日橋や大日堂跡です。
 左の道に進むと、日光和の代温泉 やしおの湯に行くことができます。
 糖塚稲荷神社から大日橋に右折する分岐の写真になります。

大日堂跡 台風で流されてしまい建物は残っていません。基礎だけが往時を偲ばせます。

 ⑩大日堂跡
 説明文:大日堂は明治35年9月の大洪水で流失しましたが、かつては東北御巡幸の
 明治天皇も立ち寄られたほどの景観を誇る美しい庭園でした。
 現在は20体ほどの石仏が静かに並んでいるのみとなっています。


日光市ウォーキングトレイル休憩所 歩多留庵 休憩所だけでなく、広場や地図、トイレなども併設されています。
歩多留庵の来訪者ノート 何が書かれているのでしょうか?
歩多留庵の来訪者ノートには、外国語の記載も多かった。Veronさんの名前を探したが、見つけられなかった。

  ⑪日光市ウォーキングトレイル休憩所 歩多留庵
 休憩室とトイレ、水飲み場、広場などが併設されています。
 中には、憾満の路のコース図や来訪者ノートなどがありました。

  来訪者ノートには外国語の記載も多く、Veronさんの名前を探しましたが、良く判らなかった。

日光植物園 この日は休園日で、見学する事ができませんでした。

  ⑫日光植物園 この日は休園でしたので、見学する事は出来ませんでした。

花石神社 少彦名命を祭神とする花石町の氏神様です。もともとは、日光連山十八座を祀っておりました。
蓮華石 日光開山の祖 勝道上人が座って、日光連山十八座を遥拝したと伝えられる。

  ⑬花石神社と蓮華石
 日光開山の祖 勝道上人がこの岩に座り、日光連山十八座を遥拝したと伝えられます。
 のちに、十八座を十八王子として祀ったのが花石神社の始まりです。
 現在の祭神は、少彦名命になります。花石町の氏神様です。

  車道を挟んで、北側に花石神社があり、南側に蓮華石があります。
 民家の庭に置かれているので、庭石と間違える方もいると思います。

ヴェロンさんの貼り紙 行方不明から4ヶ月以上経った12月に日光に調査に入りましたが、しっかりと貼り紙が残っておりました。
家光公逝去の際に殉死した重臣の墓です。この後、殉死禁止令が正式に出されました。
田母沢御用邸記念公園の入口です。私は見学しませんでしたが、機会があれば伺いたいですね。

  コース上の至る場所にヴェロンさんの貼り紙があり、殉死の墓や日光田母沢御用邸などの
 名所も多く、なかなか興味深い散策コースになっておりました。
 整備されたコースなので、病気や怪我などで倒れていたとしても発見されると思います。
 また道迷いで行方不明になるという事もないでしょう。

 以上が、ホテル発着で憾満ヶ淵方面を散策した場合のルートの概要になります
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